S P O T / SPOT-361
吉見百穴
よしみひゃくあな
吉見百穴(よしみひゃくあな)は、埼玉県比企郡吉見町の凝灰質砂岩の丘陵斜面に掘られた古墳時代後期(6〜7世紀)の横穴墓群である。現在219基が確認され、斜面一面に方形の穴が蜂の巣状に開口する独特の景観をなす。1923年(大正12年)に国の史跡に指定された。明治期の発掘当初は先住民コロボックルの住居跡とする説もあったが、現在は横穴式の墓と理解されている。穴の一部にはヒカリゴケが自生し、1928年に国の天然記念物に指定された。さらに太平洋戦争末期には丘陵内部に大規模な地下軍需工場(トンネル)が掘られ、横穴墓の一部が破壊された。古代の墓・希少植物・戦争遺跡が一つの丘に重層する、考古・自然・近代史の交差点である。

H I G H L I G H T S
見どころ
- 01急斜面に蜂の巣状に開口する219基の横穴墓(古墳時代後期)
- 02太平洋戦争末期に掘られた地下軍需工場の巨大トンネル
- 03国の天然記念物ヒカリゴケが穴の奥で黄緑に光る
A C C E S S / M E T A
基本情報
- 所在地
- 埼玉県 比企郡吉見町
- 住所
- 〒355-0155 埼玉県比企郡吉見町大字北吉見324
- 拝観料
- 中学生以上300円/小学生200円/未就学児無料(団体割引あり)
- 時間
- 8:45〜16:50(入園は16:30まで)
- 状態
- 現存(国指定史跡)
- 亀山から
- 車で約5時間(新名神・伊勢湾岸・圏央道経由、約440km)
- 最寄駅
- 東武東上線「東松山駅」
- 徒歩
- 5分
- 駐車場
- あり(普通車・有料)
- 所要
- 約1時間
D E E P D I V E
深掘り
歴史
歴史
吉見百穴は古墳時代後期(6〜7世紀ごろ)に造られた横穴墓群で、丘陵斜面の凝灰質砂岩をくり抜いて遺体を埋葬した。明治期の発掘では237基ほどが確認され、当初は人類学者・坪井正五郎らによって先住民コロボックルの住居跡とする説が唱えられたが、のちに横穴式の集合墓であることが定説となった。1923年(大正12年)に国の史跡に指定。太平洋戦争末期の1944〜45年には軍需工場の疎開先として丘陵内部に地下トンネルが掘られ、その際に横穴墓十数基が破壊され、現存数は219基となった。吉見百穴 - Wikipedia, 吉見町公式
文化的背景
文化的背景
地元視点
地元視点
吉見町は史跡として整備・有料公開し、横穴の見学路や説明板を設けている。地下軍需工場跡は点検・調査のため内部立入が制限される時期がある。ヒカリゴケは保護のため柵越しの観察となる。地元では遺跡・天然記念物・戦争遺跡を一体の学習資源として案内している。吉見町公式
ベストシーズン
ベストシーズン
新緑の初夏、または紅葉の晩秋。日中の明るい時間が横穴の見学に向く。
撮影のコツ
撮影のコツ
斜面全体を正面やや下から見上げ、蜂の巣状の開口を画面いっぱいに入れると規模が伝わる。右手の地下軍需工場トンネル開口部を絡めると重層性が出る。
注意事項
注意事項
横穴内部は狭く暗い。地下軍需工場跡は崩落の危険から立入禁止区間がある。ヒカリゴケは踏み荒らさず柵越しに観察する。
関連作品
関連作品
- 凝灰岩の岩山に穿たれた無数の穴という異形の景観から、特撮・映像作品のロケ地としてしばしば用いられてきたことで知られる。詳細は各データベースを参照。吉見百穴 - Wikipedia
トリビア
トリビア
- ・明治期には先住民コロボックルの住居跡とする説があった。
- ・ヒカリゴケは自ら発光するのではなく、レンズ状細胞が微光を反射して黄緑に光って見える。
- ・地下軍需工場は中島飛行機の疎開工場として掘られたとされる。
外部レビュー
外部レビュー
出典