S P O T / SPOT-216
旧長野電鉄河東線(木島線)廃線跡
きゅうながのでんてつかとうせん(きじません)はいせんあと/ Former Nagano Electric Railway Kato Line (Kijima Line) Ruins
2002年4月1日に廃止された長野電鉄河東線の信州中野〜木島間(通称:木島線)12.9kmの廃線跡。8駅が廃止され、線路・架線は速やかに撤去されたが、橋台・トンネル(飯綱山隧道)・一部盛土などが残存する。千曲川東岸(河東地区)の産業振興を目的に1925年に開業した河東鉄道を前身とし、77年の歴史に幕を閉じた地方鉄道の記憶を留める。
H I G H L I G H T S
見どころ
- 01飯綱山隧道(トンネル)など一部の橋梁跡・隧道が2023年現在も残存
- 02廃線跡の一部(四ヶ郷〜柳沢間)が北陸新幹線延伸に伴う県道代替「赤岩バイパス」として転用されたという珍しい事例
- 03信州中野駅に残るかつての木島線ホーム跡(現在は不使用)が往時の規模を示す
A C C E S S / M E T A
基本情報
- 所在地
- 長野県 中野市〜飯山市
- 住所
- 長野県中野市(信州中野駅)〜飯山市(木島駅跡)
- 拝観料
- 無料
- 時間
- 見学自由(私有地への立ち入り不可)
- 状態
- 廃線跡(遺構が点在・一部のみ見学可)
- 亀山から
- 車で約3時間45分・東名阪→名神→中央道→長野道(更埴IC)→上信越道→信濃町IC→国道18号・長野道(長野IC)→長野市→国道19号・県道経由で中野市へ。JRの場合は長野電鉄長野駅→信州中野駅(特急で約55分)。
D E E P D I V E
深掘り
歴史
歴史
長野電鉄河東線の前身・河東鉄道は、千曲川東岸(河東地区)の産業振興を目的に1920年に佐久鉄道の出資で設立された。屋代〜須坂間(1922年開業)に続き、1925年7月12日に須坂〜木島間が開業(非電化)、翌1926年に電化された。この「木島線」(信州中野〜木島間)は、野沢温泉へのアクセス路線として機能し、1993年ごろまでは長野からの直通列車も運転された。しかし車社会の進行とJR飯山線との競合で利用者が減少。1999年以降は運転本数が90分毎に減便され、乗客離れに歯止めがかからず、2002年3月31日限りで廃止された。廃止から3年後の2002年〜、駅舎解体や設備撤去が進んだが、一部のトンネルや橋台は残存。四ヶ郷〜柳沢間の線路敷は、北陸新幹線延伸による県道414号の代替「赤岩バイパス」として転用され、廃線跡が道路として再活用される特殊なケースとなった。(出典:Wikipedia「長野電鉄河東線」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E9%87%8E%E9%9B%BB%E9%89%84%E6%B2%B3%E6%9D%B1%E7%B7%9A)
文化的背景
文化的背景
河東地区は千曲川東岸に広がる果樹・農業地帯で、長野電鉄の創業路線として地域の産業・生活を支えてきた。木島線の廃止により、信州中野〜木島間の沿線集落は鉄道とのアクセスを失い、長電バスに代替された。廃線跡の保全状況は一様ではなく、木島駅舎は2018年に解体された一方、飯綱山隧道などは2023年現在も残存する。廃線マニアや地域住民による記録保存活動も行われており、飯山線との並走区間だったことから「戦時中に不要不急線に指定されかけた」という歴史的なエピソードも残る。
地元視点
地元視点
「高社中学校の生徒が通学で使っていた柳沢駅(行き違いができた唯一の中間駅)は、廃止後に地域の記憶として語り継がれている」と地元廃線探索サイトに記録されている。沿線住民の間では「木島線がなくなって不便になった」という声が今も残る。