異界巡礼

BIZARRE JAPAN

名鑑旧布引電気鉄道跡

S P O T / SPOT-215

心霊・廃墟

旧布引電気鉄道跡

きゅうぬのびきでんきてつどうあとFormer Nunobiki Electric Railway Ruins

1926年に開業し、わずか8年後の1934年に廃止となった幻の電気鉄道の遺構。信越本線小諸駅から東御市(旧北御牧村)島川原までの7.6kmを結ぶ計画で、川西地方の交通近代化を目指したが、昭和恐慌とバスの台頭による経営不振で休廃業。千曲川に架かる橋脚跡(押出〜布引間)が現在も川辺に残存し、廃線ファンの巡礼地となっている。押出駅のスイッチバック遺構も一部現存。

N O P H O T O

H I G H L I G H T S

見どころ

  • 01千曲川中流部に残存する橋脚跡:廃線から90年近くを経ても川中に橋脚が立つ稀少な産業遺産
  • 02押出駅のスイッチバック遺構(「新町区・歴史的遺産を守る会」の説明板あり)
  • 03「始終空(シジュウカラ)の小鳥電車」という愛称が示す経営実態の歴史的記録

A C C E S S / M E T A

基本情報

所在地
長野県 小諸市
住所
長野県小諸市〜東御市(千曲川橋脚跡:長野県小諸市大字甲)
拝観料
無料(見学ポイントまでの駐車は布引温泉駐車場等を利用)
時間
見学自由(川岸・私有地への立ち入りは不可)
状態
廃線跡(遺構が散在・一部のみ見学可)
亀山から
車で約3時間・東名阪→名神→中央道→長野道(更埴IC)→上信越道(小諸IC)→国道18号・小諸市街へ。JRの場合は名古屋→中央線→(篠ノ井線)→しなの鉄道小諸駅。

D E E P D I V E

深掘り

歴史

歴史

布引電気鉄道は、1919年に設立申請が始まった電気鉄道会社。川西地方(現東御市・御代田町方面)の宿場町と信越本線を結ぶことで地域の交通問題を解決しようとした。1920年1月29日に鉄道免許を取得し、同年10月30日に資本金100万円で会社設立。初代社長は小諸商工会会長の平野五兵衛。当初は蒸気鉄道として認可されたが、1922年12月に電気動力へ変更認可を取得し、社名も「布引電気鉄道」に改めた。1926年12月1日、小諸〜島川原間7.6kmが開業。しかし沿線は人口希薄な農村地帯で、当初から「1日の営業収入が50円程度なのに諸経費・利息支払いが100円」という実態。乗客が常に運転士・車掌の2人だけという意味の「始終空(しじゅうから)の小鳥電車」「始終2人乗り」などと揶揄された。1934年9月11日に正式な営業休止の許可を受け、1936年10月28日付けで免許取消となり廃止。廃線後も千曲川の橋脚が残存し、2021年時点でも橋脚のほか押出駅遺構が現存している。(出典:Wikipedia「布引電気鉄道」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%83%E5%BC%95%E9%9B%BB%E6%B0%97%E9%89%84%E9%81%93)

文化的背景

文化的背景

布引電気鉄道の失敗は、大正〜昭和初期における地方鉄道経営の困難を象徴する事例として鉄道史研究者から注目されている。昭和恐慌(1929年)以前に経営が傾いていた点、東信電気(発電所建設)の支援に依存した脆弱な収入構造、バス競合前から苦戦していた点などが「最も極端なケース」と評される。沿線の布引観音(釈尊寺・長野県小諸市)は年間6万人の参詣者があったが、小諸から距離が2マイル半程度しかなく鉄道収入に乏しかった。遺構は地域の産業遺産として「新町区・歴史的遺産を守る会」が説明板を設置して保存活動を行っている。

地元視点

地元視点

小諸市在住の廃線研究家によれば「橋脚跡は川の増水期でも頭を出しており、これほど長期間残った橋脚は関東・中部でも珍しい」との評価。説明板の設置により地元でも産業遺産として認識されるようになってきている。一部区間は農道や私有地に転用されており、見学ポイントは限定的。