S P O T / SPOT-196
五箇山・流刑小屋
ごかやま・るけいごや/ Gokayama Exile Hut (Ryo-kei Goya)
江戸時代に加賀藩が設けた流刑地・五箇山の庄川右岸田向集落に現存する唯一の流刑小屋。重罪人を外出・交流禁止で幽閉した「お縮り小屋」の復元施設。原寸復元(間口2.6m・奥行3.6m)で食事の差し入れ口と格子戸を備える。昭和38年の豪雪で倒壊後・昭和40年に復元。富山県指定有形民俗文化財。
H I G H L I G H T S
見どころ
- 01全国唯一現存の流刑小屋(復元施設)・富山県指定有形民俗文化財
- 02重罪人を完全幽閉した「お縮り小屋」の構造を原寸で再現(食事差し入れ口・格子戸)
- 03加賀藩が庄川の籠の渡しを利用して脱獄を不可能にした流刑制度の体現
- 04藩主への反逆・加賀騒動関係者・大槻伝蔵の孫など著名な政治犯が収監された歴史
- 05江戸時代末期まで約200年間・150余名が五箇山に流刑となった「陸の孤島」の歴史
A C C E S S / M E T A
基本情報
- 所在地
- 富山県 南砺市
- 住所
- 富山県南砺市田向(旧平村)
- 拝観料
- 無料(見学自由)
- 時間
- 見学自由(外観のみ)
- 状態
- 現存(復元施設・外観のみ見学自由)
- 亀山から
- 亀山ICから車で約2時間30分(東海北陸自動車道経由・五箇山ICから車で約10分)
D E E P D I V E
深掘り
歴史
歴史
五箇山が加賀藩の流刑地として正式に指定されたのは元禄3年(1690年)・高崎半九郎ら複数の藩士が遊女事件で摘発されたことを契機として・前田綱紀が「追放に適切な地」として選定した。流刑地は庄川右岸の7集落(猪谷・小原・田向・大島・篭度・大崩島・祖山)に限定され・明治元年(1868年)の大赦令まで約170年にわたり150余名の流人が送られた。田向集落への流刑は元禄3年(1690年)の安見与八郎が最初とされ・文久・嘉永年間まで続いた(集落文書に24名の記録)。最重罪の流刑人はこの「お縮り小屋(おしまりごや)」に幽閉された。加賀騒動で名高い大槻伝蔵の男子七之助(宝暦9年〜)もここに流された。現存する小屋は明和年間の大火後に新築されたものを昭和40年(1965年)に原寸復元したもので・食事差し入れ口の柱のみ倒壊前の材料が使用されている。
宗教
宗教
流刑制度自体は宗教と直接の関連を持たないが・五箇山は浄土真宗(一向宗)信仰が強い地域であり・流人の中には藩の宗教政策に反した者もいた可能性がある。田向集落では流人が村人に学問を教えるなど一定の地域交流が許された平流刑人との交流も記録される。
建築
建築
現存する流刑小屋は切妻造・妻入り・茅葺(現在は茅葺き様外観で保存)。規模は間口2.6m(九尺)・奥行3.6m(二間)・高さ約3m。外壁は耐久性の高い栗材を使用。内部は約6畳の板敷で・便所が付属する。柱には食事の差し入れ口(蓋付き穴)が設けられ・反対側には高さ1.2m・幅0.75mの格子の潜戸があり・流刑人の出し入れ時以外は大錠が懸けられた。流刑小屋には3種類あった:集落内を自由に出歩ける「平小屋」・外出不可の「お縮り小屋」・内部にさらに狭い檻のある「禁錮」。現存するのはお縮り小屋に該当する。本施設は「復元施設」であり・元の資材はほとんど残存していない点に注意。
文化財
文化財
富山県指定有形民俗文化財(昭和40年10月1日指定・当初は平村文化財・南砺市編入後に県指定)。全国で唯一現存する流刑小屋の遺構として民俗学上・歴史学上の価値が認められている。
注意事項
注意事項
「流刑小屋」は昭和38年(1963年)の三八豪雪で倒壊した後・昭和40年(1965年)に書図面(設計書)に基づき原寸復元された復元施設である。食事の差し入れ口を設けた柱のみが倒壊前の元の材料(不確かな情報:一部資料では腐食材を取り替えたとも記述あり)が使用されており・建物の大部分は現代の復元材料からなる。史実としての流刑制度(1690〜1868年)と復元建築を明確に区別して解説することを推奨する。