S P O T / SPOT-188
海住山寺・恭仁京跡
かいじゅうせんじ・くにきょうあと/ Kaijusenji Temple and Kuni Palace Ruins
奈良時代の離宮・恭仁宮跡(特別史跡)と・その東山腹に位置する鎌倉時代の国宝五重塔を有する古刹・海住山寺をセットで巡る。恭仁宮は740〜744年に聖武天皇が一時遷都した幻の都城。海住山寺は貞慶(解脱上人)が中興した修行の場。
H I G H L I G H T S
見どころ
- 01海住山寺国宝五重塔(鎌倉時代・建保2年/1214年・高さ17.7m・裳階付き・室生寺五重塔に次ぐ日本二番目の小ささ)
- 02恭仁宮跡(特別史跡・740〜744年の聖武天皇による幻の遷都地・現在は大極殿跡の礎石群が残る)
- 03貞慶(解脱上人)による海住山寺の中興(承元2年/1208年)・笠置寺から移り晩年5年を過ごした
- 04海住山寺重要文化財群:木造十一面観音立像(本尊・平安時代)・木造四天王立像(鎌倉時代)ほか多数
- 05恭仁宮大極殿跡の礎石群と山城国分寺の塔跡礎石が隣接
A C C E S S / M E T A
基本情報
- 所在地
- 京都府 木津川市
- 住所
- 京都府木津川市加茂町例幣海住山境外20(海住山寺)/京都府木津川市加茂町例幣(恭仁宮跡)
- 拝観料
- 海住山寺:本堂内拝観500円(入山料含む)・散策のみ入山料200円 恭仁宮跡:無料
- 時間
- 海住山寺:9:00〜16:30 恭仁宮跡:常時開放
- 状態
- 現存(海住山寺拝観可・恭仁宮跡常時公開)
- 亀山から
- 亀山ICから車で約65分(名阪国道→国道163号→県道経由)
D E E P D I V E
深掘り
歴史
歴史
【海住山寺】寺伝では天平7年(735年)聖武天皇の勅願で良弁を開山として「藤尾山観音寺」として開創。史実として確認できるのは鎌倉時代以降で・承元2年(1208年)に貞慶(解脱上人)が笠置寺から移り「補陀洛山海住山寺」と改称・中興した。貞慶の没後(建暦3年/1213年)・弟子の覚真が継ぎ・建保2年(1214年)に五重塔が完成。室町時代には塔頭58か坊を数えた。【恭仁宮跡】天平12年(740年)に聖武天皇が藤原広嗣の乱の後・平城京から遷都した幻の都城。4年後の天平16年(744年)に難波宮へさらに遷都。恭仁宮は廃止されて山城国分寺の伽藍が整備され・その後は荒廃した。
宗教
宗教
海住山寺:真言宗智山派(近世まで興福寺末)。本尊は十一面観音(重要文化財・平安時代・10世紀頃の造像)。貞慶は法相宗系(興福寺出身)だが当寺は後に真言宗に転じた。恭仁宮跡は宗教施設ではなく奈良時代の宮都遺跡だが・朝廷の仏教保護政策のもとで山城国分寺が同地に建立された歴史的関連がある。
建築
建築
【国宝五重塔】鎌倉時代・建保2年(1214年)完成。高さ17.7m(基壇上面〜相輪上端)。初層に裳階(もこし)を付す現存する平安〜鎌倉時代の五重塔としては唯一の例(法隆寺塔は飛鳥時代)。各重とも二手先組物。心柱は初層天井より上から立つ特殊構造。【重要文化財】文殊堂(鎌倉時代)・木造十一面観音立像(本堂・平安時代・像高189cm)ほか。【恭仁宮跡】大極殿跡の礎石が現存・隣接して山城国分寺の塔跡礎石群あり。
文化財
文化財
海住山寺:国宝(五重塔)・重要文化財(文殊堂・木造十一面観音立像・木造四天王立像・海住山寺文書24通ほか)・京都府指定文化財複数。恭仁宮跡:特別史跡(文化庁指定)。
注意事項
注意事項
海住山寺の境内での三脚使用は本堂拝観申込者のみ可能(散策のみの入山者は不可)。ハイキング等での境内での食事・休憩・写真撮影も本堂拝観申込者に限られる旨が公式サイトに明記されている。