S P O T / SPOT-181
苗木城跡
なえぎじょうあと
岐阜県中津川市苗木の木曽川右岸に屹立する城山(標高432m)の頂に築かれた国指定史跡の山城。大永年中(1521〜1528年)に遠山氏が移築した城を基盤に、関ヶ原の戦い後に遠山友政が再興し、江戸時代を通じ12代270年間、遠山氏が居城とした。巨大な花崗岩の岩盤に礎石を直接刻み込み、自然の巨岩を城壁・天守台として取り込んだ異形の石垣構造は全国でも稀有。「日本のマチュピチュ」「続・日本100名城」に選定された絶景山城。明治3年(1870年)、苗木藩(苗木遠山氏)は本邦最徹底級の廃仏毀釈を断行し、藩主菩提寺を含む15か寺を全廃した歴史を持つ。
H I G H L I G H T S
見どころ
- 01巨大花崗岩の岩盤に礎石を直接刻み込んだ「岩盤礎石式」の天守台——全国的に稀有な築城様式
- 02苗木藩の廃仏毀釈:明治3年(1870年)に藩主菩提寺を含む15か寺全廃・仏像焼却・位牌廃棄を断行した本邦最徹底の宗教政策
- 03木曽川を170m下に見下ろす展望台からの360°パノラマ——恵那山・中央アルプスを望む絶景
A C C E S S / M E T A
基本情報
- 所在地
- 岐阜県 中津川市
- 住所
- 〒508-0101 岐阜県中津川市苗木
- 拝観料
- 無料(苗木遠山史料館:大人220円、高校生以下無料)
- 時間
- 城跡終日開放(苗木遠山史料館:9:00〜17:00、月曜休館)
- 状態
- 現存(石垣・岩盤遺構、天守台に展望台復元)
- 亀山から
- 車で約2時間(東名阪→中央道→中津川IC→国道19号→国道257号、中津川ICより約10分)
D E E P D I V E
深掘り
歴史
歴史
苗木城の前身は大永年中(1521〜1528年)に遠山一雲入道昌利が植苗木の拠点を城山(高森山、標高432m)に移したものとされる(岐阜県公式 苗木城跡)。その後、天正11年(1583年)に森長可によって落城したが、慶長5年(1600年)に遠山友政が旧領を回復し、以後江戸時代を通じ12代270年間、遠山氏が苗木一万石の城主として統治した(中津川市公式 苗木城跡)。城の建物は明治4年に取り壊されたが、石垣は現存する。城郭の主要部(内郭)は約2万㎡、外郭を含めると約35万㎡で、昭和56年(1981年)4月に約156,774㎡が国の史跡に指定された(中津川市公式)。廃仏毀釈については後述のcultural_contextを参照。
文化的背景
文化的背景
苗木藩の廃仏毀釈は明治維新期において「全国に類を見ないほど徹底的」(中津川市苗木遠山史料館)と評される宗教政策であった。幕末期に藩内で平田派国学が風靡し、平田篤胤の高弟・青山景通と子の青山直通(24歳で大参事就任)が先頭に立って断行した(Wikipedia「苗木藩の廃仏毀釈」)。明治3年(1870年)9月3日に藩内15か寺の住職全員を呼び出し、「今回、王政復古につき領内の寺院廃寺申付候」と申し渡した。8月27日の急布令では「堂塔並石仏木像等取払焼捨或ハ掘埋可申事」と命じ、仏像・石仏・木像の焼却または埋没を強制した。さらに墓石の法名削除・位牌の廃棄・神葬祭への強制改宗まで実行した(Wikipedia)。藩主の菩提寺・雲林寺の住職・剛宗宗戴のみが還俗を拒絶し、遠山氏歴代の位牌・仏具・書籍を「馬に百駄」とも称されるほど引き取り、幕府領の法界寺に移った(Wikipedia)。隣接の尾張藩領・付知村の宗敦寺住持・阪上宗詮はその惨状を「苗木一万石の廃寺を見て、日本全国悉く廃寺せりと思惟したるものの如し」と記録し(東白川村役場「廃仏毀釈と民衆の動き」)、苗木藩の廃仏毀釈が国内外で突出していたことを伝える。
地元視点
地元視点
中津川市苗木遠山史料館(TEL: 0573-66-8181)が城跡のガイドを行い、廃仏毀釈の詳細を展示している(中津川市苗木遠山史料館資料紹介)。城跡は「続・日本100名城」(公益財団法人日本城郭協会)のスタンプ設置地。中津川市観光協会はこの城を「絶景!山城部門第1位」と紹介し、展望台からの絶景(恵那山・木曽川・市街地の360°パノラマ)を主要な観光資源としている(中津川観光協会公式)。
ベストシーズン
ベストシーズン
早朝の雲海時(11月〜3月)が最も幻想的。紅葉時(10月下旬〜11月中旬)も絶景。夏の朝霧の中の苗木城も見応えがある。
撮影のコツ
撮影のコツ
天守台(懸造り展望台)から木曽川・恵那山・市街地を俯瞰する構図が代表的。岩盤に刻まれた礎石の詳細は石垣エリアの接写が有効。朝霧・雲海の時間帯は日の出後1〜2時間が最もドラマティック。
注意事項
注意事項
城山山頂の天守台は懸造り構造で高所からの眺望があり、転落防止柵の外への立ち入りは厳禁。石垣上や岩盤上を歩く際は雨天時に滑りやすい。冬季は凍結の危険があり、アイゼンがあると安全。標高432mの山城のため、往復で相応の体力を要する(城跡入口から天守台まで徒歩20〜30分)。
関連作品
関連作品
- - 『中津川市史』『福岡町史』『坂下町史』——苗木藩廃仏毀釈の地域史料
- - 東白川村役場「廃仏毀釈年表」(東白川村役場)
- - 藤谷俊雄『廃仏毀釈』(岩波新書、1979年)——近代日本の廃仏毀釈を概説した基本文献
トリビア
トリビア
- - 苗木城の岩盤礎石構造:自然の花崗岩岩盤に直接穴を穿って礎石を設けた独特の工法は、日本の山城の中でも特に珍しい事例。
- - 廃仏毀釈の影響で同じ苗木藩領だった東白川村(現岐阜県加茂郡)は現在も「寺院が存在しない村」として知られる(廃仏後に復活した寺がない)。
- - 「苗木城」は2017年にSNSで「日本のマチュピチュ」として拡散し、一般認知度が急上昇した。
外部レビュー
外部レビュー
出典