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名鑑八ツ面山雲母採掘跡

S P O T / SPOT-171

聖地・ミステリー

八ツ面山雲母採掘跡

やつおもてやまきららさいくつあとYatsuo-yama Mica Mine Ruins

愛知県西尾市の東に位置する標高67.4mの低山。かつて雲母(うんも=きらら)の一大採掘地であり、和銅6年(713年)に「調(ちょう)」として朝廷に献上された記録が『続日本紀』に残る。かつて642か所にのぼった坑道は、明治33年(1900年)の事故と昭和6年(1931年)の小学生転落事故を受けてほぼすべてが埋められ、1基のみ鉄格子付きの坑跡として現存し、西尾市の史跡に指定されている。「吉良荘(きらのしょう)」という中世の荘名はこの雲母(きらら)の産地に由来するとされる。山頂には展望台・公園があり、中腹には大宝年間(701〜704年)創建と伝わる式内社・久麻久神社が鎮座する。万葉集との関連(不確かな情報)については下記を参照。

N O P H O T O

H I G H L I G H T S

見どころ

  • 01現存する唯一の雲母坑跡(鉄格子越しに坑道を確認可)——西尾市指定史跡
  • 02「吉良荘」の地名由来となった古代の雲母産地——律令期の朝廷献上の記録あり
  • 03式内社・久麻久神社(大宝年間創建、平安期の牛頭天王神像など県指定文化財)

A C C E S S / M E T A

基本情報

所在地
愛知県 西尾市
住所
〒445-0082 愛知県西尾市八ツ面町(久麻久神社・八ツ面山公園)
拝観料
無料
時間
八ツ面山公園は自由(久麻久神社境内終日)
状態
現存(坑跡1基を残して埋立済み)
亀山から
車で約1時間40分(東名阪→伊勢湾岸自動車道豊田東IC→国道248号方面→西尾市)

D E E P D I V E

深掘り

歴史

歴史

八ツ面山は標高67.4mの男山と39mの女山からなる。男山は古代から雲母の採掘地として知られ、『続日本紀』和銅6年(713年)5月7日条に「大倭・参河をして並に雲母を献らしむ」とある。また『和漢三才図会』にも「参河雲母山に多く出て良く」と記録されており、古来良質の雲母を産出した。江戸時代には西尾藩の専売品として盛んに京都へ出荷され、屏風・襖の装飾材料として用いられた。明治には海外にも輸出されたが、明治33年(1900年)の崩落事故により採掘は中止され、昭和6年(1931年)に小学生の転落事故が発生したため地元青年団が642か所の坑道を埋めた。1基が文化財として残された。西尾市公式「八ツ面山の雲母坑」Wikipedia「八ツ面山」

文化的背景

文化的背景

「きらら」という語は平安初期の医学書『大同類聚方』に「紀羅良薬(きららやく)」として登場し、薬として重用されたことも文献に見える。万葉集との関連については、「衣にすりつく きらら」と詠んだ歌があるとの伝承があるが(不確かな情報)、万葉集データベースを検索しても「八ツ面山」または「三河の雲母」と明示した歌番号は現時点で確認できなかった。研究書・郷土史において引用される可能性があるが、本サイト記述では「不確かな情報」として扱う。吉良荘(きらのしょう)の荘名由来が雲母(きらら)の音に由来するとの説は複数の史料に登場し、定説として受け入れられている。西尾市公式「久麻久神社」

地元視点

地元視点

西尾市のシンボル的な低山であり、男山展望台からは西尾市街を一望できる。女山は桜の名所として地元市民に親しまれる。久麻久神社には平安時代の牛頭天王神像(県指定文化財)と室町時代の陶製狛犬(県指定文化財)が所蔵されるが非公開。文政10年(1827年)に建立された「雲母山碑」(西尾藩医・松崎明の漢詩)が久麻久神社拝殿南に現存し、採掘の歴史を石に刻む。FNNプライムオンライン「八ッ面山」(2023年10月)

ベストシーズン

ベストシーズン

春(4月)の桜シーズンが女山公園の最盛期。坑跡・神社の見学は年間を通じて可能。展望台は晴天の午前中が遠望しやすい。

撮影のコツ

撮影のコツ

残存する雲母坑跡は大きな案内看板の裏にあり、鉄格子越しに坑道内部を撮影できる。久麻久神社の社殿と周辺樹木を組み合わせた構図が歴史感を伝える。

注意事項

注意事項

現存する坑跡は鉄格子で封鎖されており内部への立入は不可。久麻久神社周辺の山道は整備されているが、斜面部の一部は舗装なし。山中の私有地への無断立入は控えること。坑跡へのアクセスは公道・公共の遊歩道を利用すること。

関連作品

関連作品

  • - 『続日本紀』和銅6年(713年)条(三河からの雲母献上記録)
  • - 『和漢三才図会』「参河雲母山に多く出て良く」の記述
  • - 『大同類聚方』(平安初期)「紀羅良薬(きららやく)」の記述
  • - 「雲母山碑」(西尾藩医・松崎明、文政10年・1827年、久麻久神社拝殿南)

トリビア

トリビア

  • - 八ツ面山は「古墳状の丘陵」という外観から古墳説も存在し、工事中に埴輪が発見されたとの記録もある(不確かな情報)。
  • - 江戸時代に西尾藩が雲母を専売品とした背景には、日本画・屏風絵の需要増大がある。
  • - 現在の坑跡は埋められた後の残存部分であり、鉄格子から見ると大人一人が入れる程度の縦穴が確認できる。

外部レビュー

外部レビュー

出典

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