F E S T I V A L / FEST-038
広隆寺 牛祭り(太秦牛祭)
こうりゅうじ うしまつり
京都三大奇祭のひとつだが、現在は不定期開催(休止中の年あり)。神面をつけた摩多羅神(まだらしん)が牛に乗り、4人の鬼神を従えて夜の広隆寺境内を3周し、祭文を読み上げる。読誦中に観客が野次を飛ばすことが「恒例」であり、妨害されながら祭文を読み進めるという世界でも稀な「野次を奨励する神事」。祭文読了後に面を奪おうと観衆が殺到するクライマックスも独特。

H I G H L I G H T S
見どころ
- 01牛に乗った神様に公衆が野次を飛ばすことが正式に認められている
- 02読誦が終わると神様の面を奪いに観衆が突進する
- 03深夜の広隆寺という舞台設定の怪しさと神秘性
A C C E S S / M E T A
基本情報
- 所在地
- 京都府 京都市右京区
- 斎行
- 広隆寺・大酒神社
- 日程
- null
- 周期
- 10月12日頃(不定期開催・要確認)
- 起源
- 秦河勝(はたのかわかつ)が創建した広隆寺の守護神・摩多羅神の降臨神事。渡来系氏族・秦氏の信仰に由来するとされる。
- 観覧
- 近年は不定期開催のため事前確認必須。開催の場合、嵐電「太秦広隆寺駅」すぐ。
- 最寄駅
- 嵐電嵐山本線「太秦広隆寺駅」
- 徒歩
- 3分
- 駐車場
- 近隣有料駐車場
D E E P D I V E
深掘り
歴史
歴史
牛祭(太秦牛祭)は、広隆寺の境内社であった大酒神社の祭礼として伝わり、明治以前は旧暦9月12日の夜半に行われたという。起源については諸説あるが、寺伝『京太秦広隆寺大略縁起』では、長和元年(1012年)に比叡山の恵心僧都・源信が摩多羅神の夢告を受け、翌12日に祭文を書いて祭祀を始めたとする。一方、文献上で「牛祭」と呼ぶ最古例は延宝3年(1675年)の書状とされ、実際の成立は中世以降と見る研究もある。江戸後期の『都名所図会』には、仮面の僧が牛に乗り、四人の従者を伴って祭文を読む姿が描かれている。明治10年(1877年)に一度中断、明治20年(1887年)に復興して新暦10月12日となり、2003年(平成15年)以降は牛の確保難などで休止状態が続くと伝えられる。京都観光Navi、広隆寺 - Wikipedia、摩多羅神 - Wikipedia
文化的背景
文化的背景
摩多羅神を中心とするこの祭は、念仏道場の守護神信仰と、風流・滑稽味を交えた中世的な祭礼芸能が重なって成立したものとみられる。疫病退散、天下泰平、五穀豊穣を祈る一方、観衆の野次や騒擾まで儀礼の一部として取り込む点に、境界を越えて災厄を追い払う民俗的発想が表れる。寺院祭礼でありながら、地域の娯楽・見世物としても受け継がれてきたことが、長く語り継がれる理由といえる。京都観光Navi、太秦の牛祭 - Wikipedia、祭文 - Wikipedia
地元視点
地元視点
ベストシーズン
ベストシーズン
祭礼再開時の10月12日夜。休止中は昼の広隆寺拝観が無難で、夕方前後が境内写真向き。京都観光Navi
撮影のコツ
撮影のコツ
注意事項
注意事項
寺院の宗教行事として扱い、行列の進行や読誦を妨げない。観衆の野次は伝統だが、過度な接近や面を奪う行為の模倣は不可。撮影可否は現地表示に従い、参拝者の邪魔にならない位置から静かに見学する。
関連作品
関連作品
- - 『都名所図会』(秋里籬島、1780年)—「太秦牛祭図絵」を掲載。
- - 『広隆寺大略縁起』(編者不詳、元禄14年頃成立とされる)— 源信と摩多羅神の起源譚を記す。
- - 『広隆寺来由記』(成立1499年)— 摩多羅神を念仏守護神とする記述あり。
- - 『太秦牛祭絵』(作者不詳、近世の写本・絵巻)— 中世・近世の牛祭像を伝える。
- - テレビ・映画の著名作品での広隆寺本体の言及は確認できたが、牛祭そのものの著名な映像作品は不明。広隆寺 - Wikipedia、摩多羅神 - Wikipedia
トリビア
トリビア
- - 祭文を読む最中に観客が野次を飛ばすことが、祭りの「お約束」として知られる。広隆寺 - Wikipedia
- - 「牛祭」という呼称の最古例は17世紀後半の史料とされ、意外と古称ではない。摩多羅神 - Wikipedia
- - 中世資料では牛だけでなく馬も登場し、現在のイメージより複雑な行列だった可能性がある。摩多羅神 - Wikipedia
外部レビュー
外部レビュー
出典