F E S T I V A L / FEST-017
手力の火祭り(手力雄神社)
てぢからのひまつり
岐阜県重要無形民俗文化財。夜の神社境内に数千本の仕掛け花火が炸裂し、神輿の周りを火の粉が舞いまくる「生きた火祭り」。花火師が手に火の輪(火花を散らす回転装置)を持って舞い、火柱が次々と上がる。「火の滝」「竜の昇り」など多彩な演出が境内を埋め尽くし、観客との距離は数メートルという大迫力。参加者が実際に火の粉を浴びる体験ができる全国でも稀な火祭り。約6,000人が集まり、岐阜市内最大の春の祭り。
H I G H L I G H T S
見どころ
- 01神輿と花火師が渾然一体となって火花・火柱を演出
- 02観客のすぐそばで火の粉が舞う「体験型火祭り」
- 03「火の滝」演出時の轟音と熱気
A C C E S S / M E T A
基本情報
- 所在地
- 岐阜県 岐阜市
- 斎行
- 手力雄神社
- 日程
- 2026-04-11
- 周期
- 毎年4月第2土曜日
- 起源
- 天照大神が天岩戸に隠れた際、天手力男命(アメノタヂカラオ)が岩戸を開いたという神話に由来。その力強さを火で表現したとされる。
- 観覧
- 無料。JR岐阜駅から車で約15分。火の粉が飛んでくるため化学繊維の服は避けること。
- 最寄駅
- 名鉄各務原線「手力駅」
- 徒歩
- 5分
- 駐車場
- 周辺コインパーキング(当日は満車・公共交通推奨)
D E E P D I V E
深掘り
歴史
歴史
手力の火祭りは、岐阜市蔵前の手力雄神社で行われる火祭で、起源は明らかではないが、岐阜県公式によれば江戸時代に盛んになり、明和年間(1764〜1772年)に紛争で中絶、文化2年(1805年)に復興して現在に続くという。『新撰美濃誌』には「例祭九月十四日花火を興行す。遠近の諸人見物に来る。比類なき壮観なり」とあり、少なくとも明治44年(1911年)までは旧暦9月14日の例祭として執行された。大正元年(1912年)に陽暦10月22日へ改められ、昭和37年(1962年)から春祭りとなり、現在は毎年4月第2土曜日に行われている。旧13か村が御幣行燈を建て、禊、仕掛け御輿、舞火、立火などで構成される伝統芸能である。岐阜県, Wikipedia
文化的背景
文化的背景
地元視点
地元視点
地元では「春の本祭」として強く位置づけられ、氏子や奉賛会が準備と奉納を担う。岐阜新聞も、火の粉の中を進む神輿に見物客が熱気を寄せる様子を伝えており、地域の誇りとして受け継がれていることがうかがえる。岐阜新聞デジタル
ベストシーズン
ベストシーズン
毎年4月第2土曜の18時半〜21時頃、日没直後の境内。
撮影のコツ
撮影のコツ
御神燈と滝花火が同時に見えるやや後方の斜め位置が定番。火の粉が舞うため望遠より広角寄りが有効。境内は混雑するので参道側から全景を狙うと構図が安定する。
注意事項
注意事項
火の粉が非常に激しいため、最前列では無理をせず安全柵の外で観覧する。神社では参拝と祭礼を尊重し、フラッシュや三脚は周囲の妨げにならないよう配慮する。
関連作品
関連作品
- - 特記事項なし
- - 参考映像『Tejikara Fire Festival 手力火祭り・ロング版』(Gifu-Japan、2025)
- - 参考映像『Tejikara Fire Festival 手力火祭り・ショート版』(Gifu-Japan、2025)
トリビア
トリビア
- - 明治44年までは旧暦9月14日の例祭だったと伝わる。
- - 住宅地での火災予防のため、現在は大規模な打上花火や山焼けは行われない。
- - 夏に長良川河畔で再演される「手力の火祭・夏」もあり、春本祭とは会場の印象が異なる。
外部レビュー
外部レビュー
出典